Michikusa道草

お食事会

人生のほとんどを海外で勤務されてきた社長夫妻のお食事会に招かれた。
ナイフとフォークだけでする食事なんて人生で初めてだ。

社長はヨーロッパ、東南アジア、東アジア。。。
今は釜山で勤務されている、もう4年になられるそうな。

人生の折り返しを過ぎた私も今まで色々なタイプの社長と出会って来たわけだけど。
何百人の人間を束ねていたとか、何百人の人間を面接してきたとかそういうことを豪語される社長に限って人間的に大したことないって方も中にはいるわけで。。。

この社長、なんか“スコーン”と突き抜けているというかなんというか、どういう風に表現していいのか難しいのだけど。
話していて透明感があるんですね、すごく深いんだけどぜんぜん濁ってないというか、感覚として。
それってやっぱり海外で生きてきた毎日の積み重ねがなせるわざだと思うんです。

日本人が海外で生活するとね、そりゃあいろいろありますよ。
極端に日本びいきになり赴任先の国を馬鹿にする人、逆に変に外国にかぶれてやたらと日本を批判する人などなど。。。
それこそ今まで正しいと思っていたことが案外自分の思い込みであったりするって体験はよくあるわけで。。。

だからね、この国が正しいとか、あの国が間違っているとか思わなくなるんですよね、
もうそういうこと自体に意味が無くなる。

すべて受け入れる、そして自分が思うとおりに生きる、日本人としてとかではなくて。

こんな人がトップに君臨する会社ってやっぱりある意味素敵だなと思います、理屈抜きにね。

社長を見ていると私もあんな風に深く大きくなりたいなと思います、男として、人間として。

黄昏時

昔から、知らない街を散策するのが好きだ。
太陽が沈みかけて月が出始める時間帯に。
2つの灯り、つまりトワイライト(two lignt)ゾーン。「不可思議」、「超常現象」が起こるとされる時間帯。
日本語では黄昏(たそがれ)時と訳されるのかな。

写真は釜山のある街の黄昏時の風景。
台湾の九份に似ている。九份といえば日本では“千と千尋の神隠し”のモデルになったとされ広く知られるようになった場所だ。

どこでもいい、誰も私を知らない街を旅してみたい。

ミッドナイト・エクスプレス。。。 “脱獄“を意味する隠語。
90年代を学生として過ごした私もかつて小説“深夜特急”にはまった。
私の場合は上海から入りバンコクから抜ける旅であったが。
中国の昆明、バンコクのカオサンでは様々なバックパッカー達と出会った。

またいつか旅に出ようと思う、黄昏時に。
そしていつか、雲が去った紺碧の空を見つけたい。

散歩大会

“第4回 釜山カモメ道歩き大会”に参加した。
釜山国際交流財団が主催しているもので海雲台ビーチをスタートして東に向かい松亭から折り返して帰ってくるという散歩大会。
5kmと10kmの2コースあるが初めて参加する私は5kmの方を選んだ。

開催日は前日までの雨がなんとか上がり曇り空。
10時集合で浜辺に設置された特設ステージではテコンドーなどの演武が披露された。
準備運動が“カンナムスタイル”の曲に合わせての変な踊りだったので思わず爆笑してしまった。

11時過ぎに“ぐだぐだ“な感じでスタート。
私はひょんなことから8か月の赤ちゃんをベビーカーで押して歩くアメリカ人と中国人の夫婦と一緒に歩くことになりコースもどうしても10km歩きたいと言い張る旦那さんに圧倒されて変更することになった。

お遊び程度の散歩道だと思っていたが歩く道は完全な登山道。 岩がごろごろしており昨日までの雨のせいで道は粘土のようにつるっつる。 予想よりもハードな展開にアメリカ人夫婦はベビーカーをたたみ赤ちゃんは抱っこバンドで抱えて歩くことになった。そしてたたんだベビーカーはなぜか私が担いで歩くことに。

アメリカ人の旦那さんはハングルがまったく出来ない。中国人の奥さんもほぼ同じレベル。
ハングル・英語・中国語の変な会話と肩に食い込むベビーカーの重さとで10km歩き終えた時の私は完全に撃沈してしまった。

来年からは一人で歩こうと思う。

海底トンネル

韓国統営に行ってきた。
ここには東洋で最初に造られた海底トンネルがある。
統営市街と弥勒島(ミロクトウ)とを繋ぐ長さ483mの海底トンネル。
入り口には“龍門達陽”とありこれは“水中世界を通って陸地に至る”という意味だそうだ。

このトンネルは1932年に日本の技術によって完成させられたそうだ。
時代背景を考えると技術は日本でも実際に労働したのは韓国の方だったと思う。
作業中に多くの労働者がなくなったそうだ。

このトンネルの上にはかつて豊臣軍が、迎え撃つ李瞬臣将軍の“鶴翼の陣”によって木端微塵にされた海域が広がっている。

ん~,なんか全体的にびみょーで複雑な心境。

でもホヤ貝と牡蠣のピビンパは本当に美味しかった。牡蠣のチジミも。あとマッコリもね。
お腹一杯になって満足したら争い事は起きないのだろうなと単純な私はそう思う。

チャイナタウン文化祭り

釜山のチャイナタウンで文化祭りが開催中。

ここには約280人の華僑が暮らしているそうで、上海通りと呼ばれるこの通りには中国の他にロシア、フィリピンなどの料理屋がずらりと並び(中にはかなり怪しい店も。。。)一種独特な雰囲気を醸し出している。 長崎、神戸、横浜の中華街にも行ったことあるけど雰囲気的に釜山がより中国に近いなあ~と思う。

釜山では韓国人よりも外国の友人の方が多い私。

中国の友人に私は“華僑”だと思われていますが、私は純粋な“日本人”です。
ここに住んでいれば国籍なんて関係ないんだけどね。

今宵も怪しく灯る上海街の提灯に照らされ千鳥足で怪しく歩くおっさんが一人。

秋です

スポーツの秋です。
釜山の亀峰山に登りました。
日本語では「クーポン山」という発音になるのでしょうか。
“御優待券“みたいな名前の山ですが山頂からは目の前に北港大橋、遠くは海雲台まで見渡すことが出来、とても気持ちいいです。

軽登山なんて何年振りだろう。
408mの山を、登って降りて2時間半。足腰の鍛錬にはちょうど良い高さの山ではないかな。

下山後は麓のバイキングで食欲の秋。

帰途に着いたら就寝前にほんの少しの読書の秋。

インドネシア料理

釜山でインドネシア料理を食べに行った。
本当、なんでもあるなここ釜山には。。。

店に入るとインドネシア語の大音量で酔客たちのカラオケが。
・・・うるさい。

インドネシア料理といえば“ナシゴレン”
日本にいるときはこれ以外聞いたことが・・・ない。

料理は全体的に・・・辛い。
韓国の辛さとは少し違うんだけど、やっぱり・・・辛い。
“エステ”という紅茶のような飲み物は・・・甘い。
無茶苦茶・・・甘い。

辛いのと甘いのが混じって何を食べてもよく・・・わからない。

そして魚は焦げている、焦げているから・・・硬い。

よし、次はフランス料理に行こう。

カレー

突然カレーが食べたくなって、釜山の「けんちゃんカレー」に行った。
定年退職した京都出身の御夫婦が経営されているらしく前からず~っと気になっていた店だ。
写真は“エビ・スペシャル”
ウォーズマンの必殺技に“パロ・スペシャル”なんてあったな。
ラッキョウではなくキムチが付いてくるところが韓国って感じだ。
味はやや甘い・・・かな? カレーの上にはエビフライ3匹とコロッケ1個と目玉焼きが乗っかっている。
アルバイト店員が話す日本語が微妙で、3流映画に出てくる日本人役の外国人が話しているようでおかしかった。

昔、嫁が残った筑前煮をミキサーにかけてペースト状にし、そこに微量のカレー粉を混ぜてどろどろでねばねばの何とも知れない“カレーのようなもの“を作ったことがある。食べた瞬間“おえっ”となったが我慢して食べた。それ以来嫁には“カレーだけは作るな”と強く言い聞かせていたが、今ではそれも遠く甘い記憶だ。

さ~て、今日は何を食べようかな?

夏の長雨

例年であれば35℃近い連日の猛暑というのが昨今の夏ですが

今年は梅雨以上に雨が続きます。ここ福岡でも雨の日ばかりで

夏らしくない日々です。四国や中国地方の土砂災害も大変な状況と

報道されており、日本各地地盤が緩んでいるとの事で油断出来ないです。

せめて残りの夏は夏らしく楽しめたらと思う今日この頃です!

昨日の洗濯物はずぶ濡れでした!(泣)

”マチュピチュ”


釜山甘川洞文化村。
もの凄い、本当にもの凄く急な坂に小さな家が密集して建てられています。まるで棚田に家が建てられているかのよう。

もともとは朝鮮戦争の時に非難してきた人々がバラックを建て住み始めたことがこの村の始まりということ。
戦争の危険から逃げて逃げて、山の上へ上へ、ここまでたどり着いたのだろう。

韓国は身近なところに悲しい歴史を感じることが多い。

“釜山のマチュピチュ“と呼ばれているこの村は地元住民の悲しみと苦労の結晶なのだ。

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