Michikusa道草

老人を見て

南浦洞です。
人生の大先輩たちが得意の楽器で音楽を奏でています。
20年前は上海の和平飯店でも1階のバーではお洒落な中国の老人たちがジャズを演奏してお客さんを楽しませていました。私も2度ほど行ったことがあります。あのサービス、まだ続いているのだろうか?

先週久しぶりに故郷に帰ったんだけど、生きてりゃあ、みんないろいろありますね。
楽器を演奏している南浦洞の大先輩たちにも、やっぱりいろいろあったんだろうな。

演奏を眺めているうちに“離婚”と“死別”について考えました。
“離婚と死別”違いは別れた相手が生きているかどうか、当たり前だけど。
どっちがいいとかという話をしているわけではないでんですが。

“離婚”はその後、一定期間再婚は出来ないけど、再婚自体は自由なわけで。
別れた相手が生きているから気持ち的にも楽なんだろうなぁって勝手に思うんです。

それに比べ死別というのは知らないうちに死んだ相手にかなりのものを持っていかれてるんですね。
病気になっていろいろあって、どんどん変わっていく相手の姿目の当たりにしながら、「何とかしなきゃあ」って気持ちだけ空回りして。。。
心の形が変わっていくというか、精神がずれていくんですよ。それでも本人の前では無理やりの笑顔で誤魔化しながら、その時に色んなものをごっそり持っていかれてるんですね。

だから別れた後なんて。。。粉々。ゴミ。

時間が経って、その後の生き方は人それぞれ。もう吹っ切った、という人もいれば、世間の事に全く関心がなくなる人もいる。 本願寺の坊さんからどんな説法受けたところで屁のツッパリにもならないですよ。それだけ覚悟を持って看病してたんだもん、ジャングルの山奥に引きこもったところで誰にも文句は言えないと思う。

だから、離婚と死別ってそれだけ違うと思うんです、同じ別れなのにね。101回目のプロポーズってテレビドラマ昔流行りましたね。死別を経て再婚するってすごく怖いことですよ。再婚相手がまた死んじゃうんじゃないかなって。死別を2度体験するとおそらく人は今度こそ狂うと思う、1度だけでも立ち直れない人は大勢いるのに。

コメントはまだありません »

No comments yet.

RSS feed for comments on this post.

Leave a comment

You must be logged in to post a comment.

カテゴリー

最近のブログ記事

月別アーカイブ

メタ情報