Michikusa道草

維新150年に思う

ああおとうとよ 君を泣く 君死にたもうことなかれ

末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも

親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとおしえしや

人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや

 

反戦歌/作者は明治の女性/与謝野晶子です。

作詞の時代背景に日露の戦争があります。

このあと5番まで続き、難攻不落と言われる旅順要塞攻略に出征中の弟へ“死ぬなよ”とひたすらメッセージを綴っています。

 

今年は明治維新から150年。

記念行事で盛り上がる山口県/鹿児島県の裏側で、旧幕府側の恨み節が聞こえてきます。

維新を機に藩閥政治が始まり主要ポストを薩長で占める人事は昭和の戦争まで続きます。陸軍を山口県人、海軍を鹿児島県人で固めた明治政府は戦争へ突入、中国に続いてロシアにも勝利します。

 

押せ押せムードだった日本政府でしたが、その勢いも昭和の戦争では一変します。

 

圧倒的戦力を誇る米国太平洋艦隊の前に沈黙。

 

フィリピン沖の海戦では日本は持てる戦艦のほとんどを投入。

総力戦で挑んだはずが、その戦力は米国のわずか25分の1に過ぎませんでした。

“どう考えても無理だろ!”という戦況を打開するために“一機一艦の道ずれ”を使命とした神風特別攻撃隊が出撃するのはこの海戦からです。

”絶対に沈まない“と言われた戦艦、武蔵が沈んだのもこの海戦です。

この海戦をもって日本海軍は壊滅します。

 

歴史は続いています。

 

“あちきの国が一番でありんす、楯突く国はしばき倒すでありんす”

がモットーの人が国のトップに君臨してしまうこのご時世。

 

歴史は繰り返されます。

 

維新から150年、“時代の雰囲気に流されず反戦を唱える明治の歌人にこそ範をとるべきじゃ”・・・・・死んだばあちゃんの遺言です。

コメントはまだありません »

No comments yet.

RSS feed for comments on this post.

Leave a comment

You must be logged in to post a comment.

カテゴリー

最近のブログ記事

月別アーカイブ

メタ情報